
マリアーノ・ゴンザレスが “11th World Harp Congress” に招待され それなりの成果を収めてきた。それは世界に轟く歴史的Harpメーカーが中心となり トップクラスのハーピストたちが腕を競うフェスティバルでもある。
クラシックHarpが中心ではあるが アイリッシュHarp、ラテンHarp 今回はその一つでもあるパラグアイアンHarpが大きくクローズアップされた。大方は南米のフォルクローレに焦点が集まったが 最終日のマリアーノ・ゴンザレスのコンサートは ガラニアやポルカを脱し インターナショナルで芸術的であったと評論家たちは絶賛している。“アルハンブラの思い出” “ラ・マラゲ―二ヤ” “青い影” 等ポピュラーなレパートリーも クラシックやラテン音楽の分野を超え 会場ではすすり泣きすら洩れた。
とにかくHarp演奏家としても 今大会の “Brilliant Harpist” と紹介され 洗練されたステージングで花を添えた。
その上 彼の使用したHarpは パラグアイアンHarpに独自が考案したLeverを取り付け、更にエレクトリックであり、ハワイアンのスチール・ギターのようにサウンドに余韻を残す 味わい深い”ピッチバン・システム”がついているオリジナルHarpである。アレンジもすっかり新しく アクティブな演奏を披露した。
そしてこのHarpには 過去20年間彼が試行錯誤して見出した3つの “Harpパテント”が生かされている。
さて、前置きが長くなったが この Something New のHarpこそ 斬新さを目指すHarpメーカーが待ち望んでいたもの!2社のトップメーカーが名乗りを上げてきた。勿論検討する余地があるが メーカーもプレや―も 音楽の追求、楽器の進展には永劫に留まることがないであろう、
ついでではあるが、この時期 モスクワにおいて チャイコフスキーコンクールが開催された。バイオリン部門で 目から鱗と云おうか… 私は腰をぬかした。バイオリン部門の課題曲の中に フィドルの演奏が入っているではないか?フィドルと云えば アイルランドのフォークソング、それにアメリカのカントリーミュージックを思いだす。でも どうしてこんな型破りのことを?
その曲は “チャイコフスキーコンクール” のために アメリカのフィドルの作曲家がわざわざ作曲したものと聞いて またまた驚く。それぞれに趣向をこらした演奏はするが 足で表現するリズムが取れない。クラシック音楽とは全く異質なのだろうか?
この大会の審査委員長がTVで最後に話していた。
「クラシック音楽にも即興演奏(アドリブ)が必要だ。それは自分を表現すること。そして最終的には観客を楽しませることにある」と…。
私はクラシック音楽と無縁ではあるが 過去30数年間 ポピュラー音楽をプロデュースしてきて音楽に囲いのないことを痛感した。
クラシックであれ ポピュラー音楽であれ 勿論作曲者の意図は尊重しなければいけないが それ以上に演奏家のアイデンティティを表現、しかも観客を喜ばせるようでなければプロではない。 私の求め目指してきたことは たとえジャンルは異なっていても 決して間違いではなかったと確信した。
クラシック演奏家たちも、マリアーノ・ゴンザレスも よりよい自分の音楽を求め それは生涯続くであろう。まして Something New を求めてやまないマリアーノ・ゴンザレスの場合は 自分を表現するために 楽器(Harp)の創造からやらなければならない。
最後に私はこう思った。“将に真のアーチスト達の生涯は、修羅の道である” と。
世界一のHarpオリンピックとも言わる “11th World Harp Congress” に出場した彼も 自分の音楽、そして自分の楽器に関して同じ思いを抱いたと実感を正直に述べている。





